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鉄道、祭、さすらい旅を横浜から発信します。
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大磯どんど焼き 左義長

2012/01/28 20:03
 小正月の行事として全国的に行われるどんど焼きは道祖神の火祭りで、門松や注連飾りなどの正月飾りを納めて焚きあげる民俗行事である。
ここ神奈川県大磯海岸では毎年1月14日に左義長の名称でどんど焼きが大規模に挙行される。
大磯の左義長は平成9年に国の重要無形民俗文化財にも指定された。
夜6時過ぎ、日が落ちた大磯駅に着くと、団子を吊した長い竹を持った人たちがぞろぞろと海岸に向かって歩いて行く。どんど焼きの火にあたったり、焼いた団子を食べれば、風邪を引かない、無病息災でいられるという言い伝えがある。
大磯海岸につくとサイトと呼ばれるわらの山が立てられていた。その数は9基と決っているのだが、暗くて全部は見えない。
サイトに火が付けられるのは午後7時なのでまだ時間がある。小腹もすいてきたので屋台の焼きそばで腹ごしらえをしながら待つことにした。
7時頃になると一斉というわけでもなく、サイトに火が付けらた。

大磯海岸の入口「左義長」提灯
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火が付くのを待ちわびる人たち
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屋台で腹ごしらえ
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瞬く間に火は燃え上がる
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団子を焼く手に力が入る
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サイトの火が燃え盛る頃「ヤンナゴッコ」で海に入る画像画像




















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火の粉が舞って左義長はクライマックス
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信濃国分寺(八日堂)縁日と小諸道祖神祭り

2012/01/22 00:13
信濃国分寺(八日堂)縁日

しなの鉄道(旧国鉄信越線)で上田から上りの軽井沢方面に向かって一駅先が信濃国分寺駅である。同名の信濃国分寺(八日堂)の最寄り駅で、駅と寺が同じ名称なのはこの駅が2002(平成14)年に出来た新駅でこのお寺の参拝人のために作られたためである。
信濃国分寺の八日堂縁日は毎年1月の7日と8日に行われ、蘓民将来を信仰する人々が護符を求めてお参りする。
厄除け開運のお守りである蘓民将来護符は六角に削られた「どろやなぎ」の木で作られ、「大福長者蘓民将来子孫人也」と書かれている。蘓民将来とは人の名で災難を逃れた故事にちなむと言われている。
1月7日の護符販売は昼の12時開始であるが、既に多くの善男善女がお金を握りしめて扉が開くのを待っていた。
境内では福だるま市もたつ。参道には左右に露店が並び、参拝客で大賑わいとなる。

本堂(八日堂)
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蘓民将来護符を買う人
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福だるま店が並ぶ
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小諸(御影新田)道祖神祭り

夜になってしなの鉄道とJR小海線が交差する小諸へ行った。1月7日は御影新田の道祖神祭りが行われる。18時半を過ぎてチンドン屋が賑やかに行き交うなか、まばらだった人たちが集まって来た。五穀豊穣と無病息災を願って山車がぶつかり合う、激しいお祭りである。山車に乗るのは子供たちである。

賑やかにチンドン屋
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山車からお菓子が飛ぶ
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迫力の山車のぶつかり
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京都西山・嵐山 花灯路と法輪寺

2011/12/28 23:43
京都が初冬を迎える頃になると嵐山一帯がライトアップされる京都・花灯路が始まる。
平成15年に観光客の集客行事として東山でスタートした京都・花灯路は平成17年からは嵯峨・嵐山でももようされるようになった。
今年の冬の京都は寒い。じっとしていると足元から冷え込みが上がってくるようだ。
しかし、渡月橋を渡る観光客は引きも切らず、法輪寺へと足を運ぶ人たちが大勢いた。
旧暦の3月13日に数え十三歳に成長した男女が、成人の儀礼として参拝したと伝えらる法輪寺は、古来より、十三参りで知られる古刹である。
新暦では4月13日が十三参りの日と定められているが、現在の参拝期間は3月から5月の13日、10〜11月の13日と春秋に設定されており、仏様は抜け目がない。
と思いながら法輪寺へ足を運んだ。今年も昨年と同様にデジタル掛け軸の上映がある。
嵐山・中の島公園
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嵐山・渡月橋
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ライトアップ・花灯路
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法輪寺・デジタル掛け軸
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京都洛北・一乗寺 晩秋の詩仙堂 蔓珠院

2011/12/25 02:18
叡山電鉄に乗って一乗寺で下車、白河通りを横切って坂道を登って行くと右手にひっそりと佇む詩仙堂がある。
江戸初期の文人石川丈山が造営した庭園がなんと言っても秀逸である。書院から庭園を眺めていると心は落ち着き、ゆったりとした気持ちになる。そして誰もが静かな時を過ごすことが出来る。
詩仙堂はいづれの季節でも歓迎してくれるが、静寂漂う晩秋は格別である

詩仙堂の庭園
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風情の紅葉と落ち葉画像画像





















詩仙堂から北へ15分も歩くと蔓珠院がある。蔓珠院の歴史は古いが、現在の一乗寺に移ってきたのは詩仙堂よりやや遅れて17世紀の中頃である。
皇室の一門が住職にあったことから蔓珠院門跡となっている。
見所は枯山水の庭園である。川の流れにモミジの落ち葉が一幅の絵になっている。

蔓珠院の枯山水庭園
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京都・奥嵯峨 念仏寺

2011/12/17 22:35
愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)は奥嵯峨の急坂に連なる山麓に建っている。
創建の歴史は古いが、石像羅漢の奉納が始まって、復興されてから30年に過ぎない。
訪れる人は少なく、ゆったりとした気分に浸れる静寂の寺である。
華やかさはないが苔むした1,200体の羅漢はいつも気持ちよく我々を迎えてくれる。

愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)
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時間を忘れて羅漢様に見入る画像画像




















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化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は毎年8月23日・24日に境内の西院の河原にまつられている数千体の無縁仏にろうそくを灯し、供養する千灯供養で著名である。
風葬の地ではあるが、訪れる人が引きも切らないため、化野のはかない、むなしいという意が希薄になってしまうのは辛いところである。

化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)
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賽の河原
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弘前秋の旅 その2

2011/12/02 19:30
吉野町緑地は街中とは思えない空間が広がる弘前市民の憩いの場所である。
吉井酒造の煉瓦倉庫のそばで現代美術作家の奈良美智氏作の犬が悠然と立っており、遠くに五重塔を望むことが出来る。

吉野町緑地
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吉井酒造の煉瓦倉庫
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とぼけた犬と五重塔
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吉野町緑地の紅葉
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            弘南鉄道大鰐線画像

土淵川に沿って走る弘南電車が終着の「中央弘前駅」へゆっくりと入ってきた。大鰐線の開業は昭和27(1952)年である。営業キロ16.8q、駅数12のローカル線であるが弘前市民の足として欠かせない線である。





土手町通りに戻る途中で昇天教会の塔が見え、右に折れると結婚式に参列した人たちに出会った。
幸福の日である。昇天教会は赤レンガのゴチック様式で大正10(1921)年に建築された。弘前市民が大切にしている洋館建築の一つである。

弘前昇天教会画像画像




















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洋館建築と言えば青森銀行記念館も見逃せない。五重塔に行く前にちょっと立ち寄ってみることにした明治37(1904)年に建築、青森銀行の母体となった旧・第五十九銀行本店本館で、設計は太宰治の生家「斜陽館」も手掛けた堀江佐吉である。

青森銀行記念館
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和風建築では最勝院の五重塔である。建立は江戸時代の寛文7(1667)年とさすがに古く、国の重要文化財に指定されている。桜の頃も良いが、秋の紅葉も趣がある。
五重塔は見る角度によってさくらモミジやかえでモミジが現れ変化に富んだ光景を楽しむことができる。

最勝院の五重塔

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最勝院の参道の両脇には石仏が並び、紅葉を背景に浮かび上がって見える。

石仏と紅葉
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弘前公園に夜がやってきた。モミジのライトアップと弘前城天守のデジタル掛け軸といういうイベントが行われているので行ってみた。
この日の紅葉ライトアップは無風状態であったため、お堀の水面が鏡のようで紅葉が見事に映り込みんでいた。

紅葉ライトアップ
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デジタル掛け軸は「コンピューターでアトランダムに組み合わせた膨大なデジタル映像を天守閣に投射して、幻想的な空間を創り上げる芸術」である(昨年も東京都庁舎など各地で実施された)が見応えがあった。

天守閣にかけられたデジタル掛け軸
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弘前秋の旅 その1

2011/11/20 01:19
初めて秋の弘前を訪ねた。
秋の弘前は想像以上に素晴らしく、なぜこれまで秋に行かなかったのだろうと少し後悔をするほどであった。
弘前は北国と言うこともあるのだろうが、横浜とは違って四季の移り変わりがはっきりとしていて、それぞれ趣きがあって楽しい。
色で例えれば、冬は雪の白、春は桜で淡いピンク、夏は緑、そして秋は紅葉の赤である。
弘前公園の満開の桜は壮観で見ていて圧倒されるが、紅に染まる葉にも目を奪われた。
秋の弘前はなんと言っても鮮やかなその色彩の多様さがたまらない魅力である。
ということで弘前の街をそぞろ歩きをしてみよう。

       外堀と桜もみじ画像
弘前公園の街路樹は当然ながら桜並木である。
桜の葉の色付きは一目見ると橙色に見える。
しかし、よく見るとそれは一色ではなく、
緑、黄、赤がほどよく混じり合って独特の色あいになっている。
そして堀に映る水面、堤に落ち葉と芝生、などが変化のある
光景を作り出している。









桜並木の紅葉
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落ち葉の中の遊泳
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さて、公園の中を散策してみよう。東門を入ると桜の紅葉が満開である。そぞろ歩く人たちや子供たちも楽しそうである。

桜もみじの下を散策する人たち画像画像




















子供たちの遠足
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ベンチに落ち葉が座っていた
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さらに内堀に進むと白鳥を発見した。白鳥も紅葉の景色を楽しむかのように優雅に泳いでいる。

紅葉に映える白鳥
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下乗橋のたもとにやってきた。春の天守は華やかだが、秋の天守はしっとりと落ち着いた感じに見える。

秋の天守閣も趣きがある
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下乗橋はいつも賑わっている
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桜の紅葉を間近で見てみよう。かえで紅葉も素敵であるが、桜の紅葉(黄葉)だって素晴らしい。

さくらもみじ三部作
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いよいよカエデ紅葉の見所に到着した。さすがに見応えがある。
春の桜の時期にはほとんど目に付かなかったのに秋になるとその存在感は抜群であった。

      紅葉はクライマックス
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緑をばバックに深紅、赤、橙、黄と紅葉は多色刷り
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      水面に映る紅葉
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弘前公園は紅葉を楽しむ人たちが行き交うが、落ち葉の清掃をする人たちもいることも忘れてはならない。弘前の美観は市民に支えられていることを実感する。
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南内門にやってきた。例年なら門を額縁にした紅葉は弘前公園の随一の見所と言われているが、今年は出来は今一つのようである。一度来ただけでそう簡単に見せられないということだろう。
来年には美しい紅葉を見せてほしいと願うばかりである。
南内門の紅葉
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左沢線に乗ってお祭りを見る A寒河江祭り

2011/10/22 00:01
神輿の祭典「寒河江祭り」は夕暮れから始まる。神輿の数は20を超え、寒河江八幡を出発してから流鏑馬通り、駅前通を通過して寒河江駅前のみこし公園まで盛大な渡御が挙行されるる
午後5時を過ぎて子供神輿が寒河江八幡宮の前に来た。

まずは子供神輿から
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次は本神輿の出番である画像画像





















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伝統の奴おどりが登場
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白装束に身を固めた本社みこしは厳粛な気持ちになる
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元気な復興支援ボランティア神輿が登場してきた
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男衆神輿も頑張っている
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女神輿はもっとパワーがあった
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寒河江発山形行き普通列車はいつものように出発
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左沢線に乗ってお祭りを見る @大江秋祭り

2011/10/19 22:11
左沢線は山形駅を始発として終着の左沢(あてらざわ)まで営業距離26.2キロ、JR東日本のローカル鉄道である。
沿線では洋梨、サクランボなどフルーツの栽培が盛んで愛称はフルーツライン左沢線。
起点は奥羽本線との接続駅である北山形であるが、列車はすべて山形発着である。
40分ちょっとで左沢に到着するが運行本数は少ない。特に昼間は3時間も空白の時間帯があり、乗り遅れたりしたら乗車時間の何倍も待たされることになる。
例えば左沢発12:57の後続列車は16:15発で3時間余りの空白時間がある。ただし、寒河江から山形まではほぼ1時間おきに発着している。
列車の編成は2両、ワンマン運行で、途中駅寒河江のみ駅員が常駐している。

さくらんぼを形どった寒河江の駅標
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乗車して気がついたのは各駅での停車時間が長いことである。2両編成の後部車両に乗っていた乗客は列車が停車してからおもむろに座席から立ち上がり、前部車両の運転席の近くの降車口までゆっくりと歩いて行く。首都圏の通勤列車であれば乗り越すところであるが、余裕で降りて行った。

立つ人もいるほどの乗客
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左沢駅の住所は山形県西村山郡大江町大字左沢である。左沢の由来は駅前の案内板に一説として「かつて寒河江の領主であった大江氏が山に登って左手に見える山谷をあちらの沢と呼んだ」からと紹介されている。よく分からない地名である。
大江秋祭りは大江町 左沢駅前広場で開催される。10時過ぎには左沢に到着した、この列車に乗らないと次の到着は13時前になってしまい、厳しいダイヤ編成である。

左沢駅
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大江祭りの始まりは12時近くなのでいつものように街をぶらつくことにした。駅前を出たところで異様な風体の一行に出くわす。興味津々で後をついて回る。先頭の幟に深沢獅子とあった。獅子舞とお囃子の一行は街角で踊りを披露しては町内を練り歩いて行く。

街を練り歩く深沢獅子
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向こうからやってきたのは三味線、笛、太鼓で賑やかな囃子屋台である。この屋台にも付いて回った。

深沢獅子          囃子屋台画像画像





















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しばらくして屋台からはずれて大きな川に出た。最上川である。釣り人が一人、絵になる光景である。

最上川と釣り人画像画像





















左沢駅に戻ろうとしてかけ声も勇ましい神輿に出会う。祭りの主役が次々に駅前広場に集結して大江祭りが始まった。


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彼岸花の里 巾着田

2011/10/02 11:15
曼珠沙華の群生地である巾着田の最寄り駅は西武池袋から快速で40分余り走った高麗(コマ)駅である。
歩くこと15分で公園の入口に到着するが公園まではさらに随分の行程がある。

巾着田が群生する地域はかつては休耕田だった。高麗川がU字型)に蛇行する地形に、水辺に沿って曼珠沙華が花開く。地名は名付けて巾着田。
9月のお彼岸頃になると真っ赤な花が咲く。別名、彼岸花。
これだけの数が咲きそろうと赤は扇情的でな雰囲気を増し、壮観である。
江戸の頃、彼岸の季節になり曼珠沙華が咲くと、島流しされていた流罪人を迎えにくる船が姿を現すので赦免花とも言われていた。
田んぼのあぜ道にも、墓場にも咲くことが多く、季節の変わり目を実感させられる象徴的な花である。

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秋田夏祭り 鹿角−花輪ばやし

2011/09/07 00:03
花輪ばやしはJR花輪線(大館−好摩)の中心駅である鹿角花輪駅(旧陸中花輪)を中心に開催される幸稲荷神社の祭典である。花輪の総鎮守である幸稲荷神社の祭典は5日間であるが、9月19〜20日の後半の二日間は「花輪ばやし」として賑やかに奉納される。
午後2時頃、鹿角花輪駅に到着、露店の立ち並ぶ通りは開店準備が始まったばかりである。

露店が立ち並ぶ通り
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これから仕込みが始まる


屋台が練り歩く大通りは午前11時には交通規制で車の出入りが制限されているため、車道の真ん中を堂々と歩くことができ、開放感に浸ることができる。
安政3(1856)年創業の関善酒店の建物は日本最大級の吹き抜け木造構造である。明治38年の大火の後、再建された大店の建物として威容を放っている。関善酒店の向かいにはこみせを持つ小田島家の建物がある。


旧関善酒店
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青空は秋の雰囲気

小田島家
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雪国に独特のこみせ

造り酒屋には良質の水が不可欠であり、六日町にはこんこんと沸く泉井戸がある。
名付けて「御伊勢堂」(おせど)。今もポリタンクを持って水を汲みにきたおばさんがいた。

おせど(泉井戸)画像画像




















冷たい清水がこんこんと湧く

車の通らない大通りは子供たちには開放区である。寝転んで遊ぶ子供やりんご飴をほおばる子供たちは楽しそうだ。

子供たちは楽しそう
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ポーズを決めて飴を食べる女の子

ようやく日が暮れて屋台が動き出した。笛や太鼓、鉦をならすお囃子連中にも力が入る。

大通りに集まってきた屋台
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三味線や太鼓、笛や鉦のお囃子が祭りを盛りあげる画像画像




















鹿角花輪駅前広場には全屋台10台が集まり、花輪ばやし一番の見所と言われている。駅前広場に行くには露店通りを通過するのだが、花輪ばやしを見ないで露店を歩き回る人々で溢れていた。

露店に集まる人々の群れ
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露店通りを販売する側からの目線で覗いてみると景色は変わって見える。

金魚すくいの名人
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おじさん一個ちょうだい
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購入即食べるのが旨さを増す
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もう一つ追加
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露店通りを通過して鹿角花輪駅前広場に向かおうとしたのだが、駅前広場に通じる道は花輪ばやしを見る人たちの群れでごった返しており、往来もままならない。
ようやく駅前広場についた時には幾重にも人垣が出来ていて見通すことも困難なほどの人だかりである。
露店巡りをしている場合ではなかったと思ったがもう遅い。
頭の隙間から覗くようにして町内そろい踏みの屋台のお囃子共演を見る。
お囃子の音が祭りを一層盛り上げ、踊り手は乱舞、乱舞で熱狂していた。

乱舞、ランブ、らんぶ
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屋台が勢ぞろいした駅前広場
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雨の秋田内陸縦貫鉄道に乗る

2011/09/04 10:54
画像秋田内陸縦貫鉄道は田沢湖線・角館から奥羽本線・鷹ノの巣まで.秋田県を南北に縦断して走る鉄道である。

秋田内陸縦貫鉄道は数奇な運命をたどって第3セクターとして1989年4月に全線営業を開始している。
営業キロ94.2キロ、駅数は29である。










角館駅 (秋田内陸縦貫鉄道)
乗ってけれ 内陸線! !

国鉄が民営化する以前には角館線が角館から松葉まで19.2キロ、阿仁合線が鷹ノ巣から比立内まで46.1キロが営業していた。そして日本鉄道建設公団が松葉−比立内を鷹角線として建設中であった。
これらの3路線の鉄道を引き継いで1986年に第3セクターが設立されている。
盲腸線として開業後3年を経て両線を結ぶ新線が完成し、1989(平成元)年にようやく全線開通した新しい鉄道路線である。

さて、この日は朝から雨が降り続いている。時折小雨にはなるが低気圧が通過中のため、雨は上がる気配はない。
角館駅は秋田新幹線の通るJR角館駅舎の隅にひっそりと佇んでいた。
もりよし号の急行券300円を買う。駅員が後ろの1両は貸し切りですから前の車両に乗ってくださいという。団体客でもいるのかと思いながらホームに入ると、なにやら作業している人たちがいた。スタッフの人に聞いてみると映像を撮るためということらしいが、テレビの関係者ではないようだ。

列車の窓を拭く人たち
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急行「もりよし」号の先頭車両
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列車には案内嬢が乗車していた。角館を発車してすぐに田んぼにがんばろう東北が書かれているとアナウスがあった。大急ぎで左の車窓を見たが先頭車両は既に通過寸前で全貌は捉えられなかった。みえたのは「ろう」と東北の文字と地形図だったので「がんば」は心の中で描くことにした。

がんばろう東北のアート
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白い雲が地平線までたちこめ、雨は間断なく降り続いている。

白い雲はなにやら幻想的でもある
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先頭車両から画像画像





















旧角館線の終着駅「松葉」では不思議なことに雨が一旦上がって降りる人は傘を差さずに下車していた。

松葉駅
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急行もりよしにはサロン風の特別シートが設置してある。残念なながらこの日は雨で乗客は少なかった。雨の乗車も風情があるが、天気が良ければ車窓の景色は抜群である。是非一度は乗車して見たくなるはずだ。

サロン風の車内
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阿仁川
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秋田縦貫内陸鉄道の本社がある阿仁合駅で案内嬢が下車、雨脚はさらに強くなってきた。

窓に流れる雨で歪んで見える駅標
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案内嬢はここで下車


鉄道沿線にはマタギの里で知られる「阿仁マタギ」駅の近くに打当温泉がありが、私は駅舎内に設置されている阿仁前田駅温泉で一風呂浴びることにした。

阿仁前田駅温泉
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秋田夏祭り 羽後町−西馬音内盆踊り

2011/08/28 22:31
奥羽本線湯沢駅からバスに揺られて30分もすると西馬音内(にしもない)に到着する。西馬音内川に掛かる二万石橋を渡ると盆踊り会場の本町通りである。700年も前から伝承されてとも言われる西馬音内盆踊りは雨模様のなか二日目(8月17日)の幕をあけた。
西馬音内盆踊りの主役は女性である。母から子へ、またその子へと脈々と受け継がれてきたその踊りは妖しく、優雅で哀調を帯びており、見る者の心を揺さぶる。そして、お囃子の音色が何とも言えず哀愁を誘う。

西馬音内の入口、二万石橋
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盆踊りが始まる時間は午後7時30分、時間は有り余るほどある。羽後町には歴史のある建物が建ち並んでおり、まずはぶらりと街歩きである。

屋号 大黒屋(金物・建設資材)
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屋号 は(歯科医院)  
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屋号 もめん屋(あかがわ呉服店)
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日がとっぷりと暮れて篝火が焚かれ、いよいよ盆踊りが始まる。雨は降ったりやんだりで絶好のコンディションとは言えないが、観客は辛抱強く待っている。

道路は濡れているが、篝火は赤々と燃える
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先頭で踊り出したのは子供たちである。みんな黒い覆面をしているので顔は見えない。彦三(ひこさ)頭巾である。亡者を連想させる彦三頭巾は西馬音内の盆踊りをいやが上にも幻想的にさせる。もっと幼い子供たちは浴衣姿である。大きくなったら彦三頭巾をかぶって踊り手の輪の中に加わるのだろうか。

彦三頭巾で踊り出した子供たち
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浴衣姿の幼い子
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西馬音内盆踊りの主役は女性である。踊りで着るのは端縫い衣装である。4〜5種類の絹布をハギ併せて端縫って作られる。それぞれの衣装には図柄と配色に工夫がある。そして深い編み笠をかぶるので顔は見えない。端縫い衣装は夜目にくっきりと浮かび上がり、盆踊りをより幻想的にしている。

煌びやかな端縫い衣装で踊る女性画像画像





















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男衆も踊りの輪に加わる。華やかさはないが、力強く踊る。

ポーズを決める男衆画像画像





















本町通りの中央に位置する盆踊り会館の前には櫓が組まれ、笛、太鼓、三味線などの鳴り物が賑やかにお囃子を奏でる。道の真ん中には篝火が焚かれ、踊り手は篝火を取り囲むように進む。

篝火を囲んで踊りは進む
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断続的に中断されながらも踊りは続いていたが、午後10時頃には雨脚が強くなってきた。お囃子の音が一段と大きくなって本日の西馬音内盆踊りは、予定より1時間繰り上げてお開きとなった。

お開きとなった直後の盆踊り会館前
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秋田夏祭り 横手−送り盆まつり

2011/08/27 00:06
8月も中旬頃になると夏祭りはやや哀愁を帯びてくる。旧暦のお盆は8月15日を挟んで4日間、先祖や亡くなった人たちの霊を祀る行事であるが、横手送り盆まつりはお盆の終わり、8月16日にクライマックスを迎えた。
江戸中期の起こった享保の大飢饉の時に亡くなった人を供養するために始まったとされるのが横手送り盆祭りである。

各町内ではわらと丸太で屋形船を作り、柳を添え、枝に法名などを書いた短冊を吊るして、町内を練り歩く。今年は14の屋形船が勢揃いした。


屋形船は男衆に引かれて、町内を練り歩く
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子供たちもお揃いの法被姿で可愛い画像画像























日が暮れると屋形船はもみ合いながら、横手川に掛かる蛇の崎橋を渡る。


蛇の崎橋は屋形船で賑やかに
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屋形船が河原に集合するとともに雨脚が強くなってきたが、担ぎ手たちの気勢はどんどん盛り上がってきたようだ。

豪雨でも気勢は上がる
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打ち上げ花火で提灯や屋形舟が浮かび上がる。


彩りを添える花火画像画像





















川原で供養をすませた屋形舟が蛇の崎橋の上でぶつかり合い、まつりは最高潮に達した。


ぶつかり合う屋形船
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弘前夏の旅  弘前ねぷた祭り

2011/08/14 23:33
弘前はいつ訪ねても優しく迎えてくれる、とても魅力的な街である。その魅力はどこから来るのだろう。
北の雪国であること、400年を超える歴史ある城下町であること、地方都市でありながら明治以来の進取の気質が溢れていること、ぼくとつな津軽弁で話す人々が優しいこと、などと列挙してみても的確ではないようだ。
桜やりんごもその要素の一つなのだろうが、そんなに単純でもない。自然や街の風景、そこで暮らす人々が一体となって作り上げられたのだろうか。
何度訪ねても簡単に答えが出ないのでいつでも来いと弘前という街が誘惑してくる。
2011年の夏、弘前駅に降りたのは8月5日、ねぷた祭りが私を歓迎してくれた。



弘前ねぷたの運行は毎年8月1日〜7日まで行われる。8月1日〜4日までは土手町コース、私が参加したのは5〜6日の駅前コースである。
代官町の郵便局前から出発し、弘前駅前のロータリーを通過して上土手町に至る。
じっくり腰を下ろして3時間余り、ねぷた祭りを堪能した。
夕暮れとともに先頭の隊列がやってきた。駅前コースのねぷた祭りは静かにスタートした。

ねぷた祭りは静かに始まった
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隊列は流れるようにどんどんやってくる。
伝統的なのは武者絵を題材にした扇ねぷたが多いが、人形型の組ねぷたも面白い。

扇ねぷたは弘前ねぷたに独特である
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役者絵は迫力満点
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組ねぷたが彩りを添える
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その中に市民手作りの子供ねぷたが練り歩く。子供たちのかけ声も勇ましく、一所懸命で見ていて気持ちが良い。

子供たちも力が入っていた
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練り歩くねぷたに勢いをつけているのが笛や太鼓のねぷた囃子である。










女性の太鼓は勇壮でたくましい。






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可愛い女の子が笛はを吹いていた
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ねぷたの中でひときわ目を引いたのが金魚ねぷたである。他のねぷたに比較すると小さいが、その数は圧倒的である。

金魚ねぷたは大から小まで様々な大きさがある
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商店街のウインドウや軒先には金魚ねぷたが飾ってあるし、手作りの金魚ねぷたを子供たちに配っている人も見かけた。
金魚ねぷたは藩政期の津軽で飼育されていた「津軽錦(つがるにしき)」という金魚に由来、人形ねぷたの骨組みの基本構造を示しているらしいが、なぜ金魚なんだろう。由来はともかく、金魚ねぷたは弘前市民の努力により連綿と受け継げられてきたと見る方が歴史を感じさせる。

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ねぷたの隊列も佳境に入ってきた。弘前城ねぷた、弘前城築城400年のマスコツトキヤラクター「たか丸くん」ねぷた、さらには東北新幹線「はやぶさ」ねぷたなど斬新なねぷたも登場し、いよいよクライマックスである。

たか丸くんねぷた          弘前城ねぷた画像画像




















東北新幹線「はやぶさ」ねぷた
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これは白馬の騎士ねぷた?
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ねぷたの動きに激しさが増してきた
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瞬く間に時間は過ぎていき、本日のねぷた祭りは幕が下りた。


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会津田島祇園祭り-子供歌舞伎を楽しむ

2011/08/04 23:46
福島県南会津町の田島祇園祭りは田出宇賀神社と熊野神社の祭礼で、毎年7月22〜24日に行われる。祇園祭りは京都八坂神社の祇園祭りで著名であるが、祇園信仰とは疫病を鎮める神様を祭る信仰である。
田島祇園祭りの宵宮(22日)と本祭(23日)には子供歌舞伎が演じられる。江戸末期から明治初期に上演されていた子供歌舞伎が復活したのは平成6年である。こどもと銘打っているが、なかなか本格的である。
22日に上屋台では平家物語を題材にした「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 須磨の浦の段」が通しで演じられていた。


役者全員勢揃い
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配役は玉織姫、平山季重、平敦盛、熊谷直実の4人である。
演じるのは高校生2名、中学生1名、小学生1名で全員女性である。

妖艶 玉織姫
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平家の若武者 平敦盛           源氏の武将 熊谷直実
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敦盛と直実
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熊谷直実は一ノ谷合戦で平敦盛を討ち取り、陣屋に戻ってくる。
直実は主君の源義経に首を差し出すが、その首はなんと直実の息子・小次郎の首..........


玉織姫に言い寄る平山季重
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熊谷直実は玉織姫に敦盛の首をみせるが.....
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固唾をのんで見つめる観客
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お祭りに欠かせないのは露店である。いくつになっても露店巡りは楽しいものだ。小遣いの無かった子供の頃を思い出しながら、お祭りのメインストリートの左右にびっしり並んでいる露店を物色する。食べもの系ではイカ焼きやお好み焼きの勢力が強いようだ。例年なら繁盛するかき氷は、この日は台風通過で涼しかったためか、人気はもう一つだった。遊び系では射的や金魚すくいに人気があるようだ。

焼き鳥をぱくつく親父
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オムそば作りは忙しい
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やっとお客がやってきた
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金魚すくいは楽しい
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お祭り道路には子供歌舞伎を演じる屋台がやってくる。一幕だけ演じると大勢の子供を屋台に乗せて、大人たちが人力で屋台を動かし、場所を次々と変えて次の幕を演じる。歌舞伎上演は夜の10時を過ぎるまで延々と続けられる。

屋台は次々と場所を変える
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中学生でも色香は申し分ない!!
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小学3年生の男の子はさすがにおぼこい
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熱海来宮神社・例大祭 こがし祭り

2011/07/21 22:41
来宮神社の例大祭は毎年7月15日、16日に行われ、熱海に住む人々・熱海に入り来る人々を守ってくれる神々に感謝する神事である。
こがし祭りでこがすのは麦である。
海辺で神様に『麦こがし』を供えたと云う故事から、来宮神社の例大祭(夏まつり)は別名『こがし祭り』とも云われ、例大祭には「麦こがし」を必ずお供えする。

行列の中の猿田彦は御祭神と御縁の深い『むぎこがし』を撒き道中を案内し、また人々はこの麦こがしを身に振りかけてもらうかまたは食すれば災いを除き、無病息災、夏の病にかからぬと古来より云い伝えられている。

麦こがしを撒き道中を案内する猿田彦画像画像





















宮だしされた神輿(御鳳輦ごほうれん)は宮司・神官をはじめ、総代・神役など御神幸行列は「みょうれん」と唱えながら一路熱海の海岸(サンビーチ)を目指して練り歩く。

神輿(御鳳輦ごほうれん)の行列
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神女となった幼女画像
氏子の中から一名選ばれた幼女(神女)が例祭当日に神楽を奉納し、四人の少女は装束を纏い、御神前に浦安の舞を奉奏する役目を担う。御神幸行列は総勢500人規模に達し、何度も休憩しながら海岸へ向かう。

















浦安の舞を舞うため選ばれた少女
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獅子がやってきた
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御獅子は古来より、魔を食い尽くし、福を招くと言い伝えられ、御鳳輦に鎮まる神を護衛し、人々に幸をもたらす。
獅子の中に入って練り歩けば御利益を授けてもらえる。


















炎天下のなか、ようやく海岸に到着した神輿画像画像






















先導する猿田彦も麦こがしを海に向かって撒くなか、御鳳輦に鎮座する来宮神社の神々を奉仕者達が担ぎ上げて浜から海中に入る。浜降り神事である。水を得て、担ぎ手の男性たちも元気が出てきた。

浜降り神事
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加賀百万石の城下町 初夏の茶屋街放浪記 その3 にし茶屋街と用水散歩

2011/06/30 20:42
金沢駅東口から少し歩くと鞍月用水に出る。犀川の水を引き、1623(元和9)年に完成した歴史ある用水である。
金沢城の東にあり、お城の外堀の一部として防火防衛の役割を果たしていた。
鞍月用水うるおいの道と命名されている用水路に沿って犀川の方向に向かって歩いてみた。

鞍月用水
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玉川公園を越えた中央小学校の角までくると用水は左に90度向きを変えた。遠くにもう一本の用水が見える。武家屋敷通りに沿って流れる大野庄用水である。
大野庄用水も犀川の水を引いており、造られたのは天正(16世紀後半),年間と言われている。用途は金沢状築城のための資材運搬用の水路だった。

大野庄用水
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一軒ごとに専用の橋が架けられていた

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大野庄用水沿いには長町武家屋敷群がある。足軽屋敷の中を見物し、少し横道に逸れると「あめの俵屋」があった。米と大麦でつくられる水飴は170年間の伝統甘味である。
本店はひがし茶屋街近くにある。
足軽屋敷の庭
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あめの俵屋(長町店)
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天保元(1830)年創業の老舗


そして犀川大橋を渡ると、にし茶屋街である。

犀川大橋
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金沢城の南西にあるにし茶屋街はお茶屋は5軒で、ひがし茶屋よりも少ないが芸妓の数は最も多く、20人を越える。芸妓になるなら、にし茶屋街でといくらい人気があり、若い芸妓も多いとのことである。
検番事務所のなかから三味の音が聞こえてきた。これは何とも言えず心地よい。建物の中に人影は無く、どこから聞こえて来るのか確かめようと建物の側で耳を澄ましたが、2階か1階なのか判然としなかった。
にし茶屋街は一本の道路が通っているだけで、建物の数は多くないが、落ち着いた印象を受ける。
検番の前の橋は用水が流れていた名残だろうか。


西検番事務所
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西検番事務所と前の通り

にし茶屋街メインストリート
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さらに東に進むと再び用水が姿を現した。泉用水である。先ほどのにし検番の橋の下は用水が流れているに違いないと確信した(現在は暗渠になっているが)。

泉用水と用水の主(?)画像画像





















北陸鉄道石川線野町駅
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駅が見えてきた。北陸鉄道石川線の野町駅である。
石川線は野町から鶴来まで18駅、13.8キロを30分弱で運行している。乗りたいところだが3分前に出たばかりで次発は30分後だった。


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加賀百万石の城下町 初夏の茶屋街放浪記 その2 ひがし茶屋街と観音町通り

2011/06/28 23:20
浅野川大橋を挟んで東側にある、まさにその名のとおりひがし茶屋街は金沢に三カ所ある茶屋街のなかで最も規模が大きい。
国の伝統的建造物群保存地区に指定されていて、江戸から明治の建物が多く現存している。

ひがし茶屋街の入口
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ひがし茶屋街メインストリート
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志摩(重要文化財)
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押し寄せる観光客
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彼らも観光客画像
京都で言えば祇園であり、お茶屋は現在8軒、芸妓は約20人ということだ。花街の規模が大きい割には芸妓数が寂しい感じがするが、一見の人には関係がない。華やかなは表通りは観光客の往来が引きも切らないので喫茶店や食堂の数も多いのだが、騒がしいのが気にかかる。
















しかし、一歩裏通りに入ると落ち着いてくる。ここまで観光客はあまり足を伸ばさない。さらに路地を巡ると花街から外れ、子供たちが遊んでいたりする。

大通りから一本中に入る画像画像




















路地に入ると髪結い床や箏曲教室の看板が見られ、花街風情も格別である。

髪結処
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箏曲教室
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ひがし茶屋街は今は東山1丁目となっているが、かつては観音町と言われていた。小高い山の上に観音院があり、十一面観音が安置され、観音信仰として金沢一円に知られている。

観音院(北陸三十三ヵ所14番札所)
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観音さんで有名なのは四万六千日まいりである。旧暦の7月9日(新暦では8月10日=2011年)にお参りすると四万六千日間毎日お参りしたと同様の功徳があると言われている結構な日である。

毎年四万六千日まいりの日が近づくと、家々に告知の張り紙が張られる。そして縁日ではあかとうもろこしが売られていた。
これは江戸時代に落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから四万六千日の縁日には赤とうもろこしがつきものになったらしい。もともとは雷除けから発生した。

ここ金沢では軒先にとうもろこしを軒先に吊して無病息災を願う風習が残っている。ただしあかとうもろこしは栽培が難しいらしく、現在はみどりのとうもろことが売られている(ひがし茶屋休憩所の男性係員からの受け売り)。

東京浅草寺の四万六千日まいりは新暦で行われ、あかとうもろこしはほおずきに変わっている。いわゆるほおずき市である。



とうもろこしは毎年取り替えるはずだが画像画像





















観音町通り
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突き当たって右に折れると観音院

浅野川河畔
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加賀百万石の城下町 初夏の茶屋街放浪記 その1 主計町茶屋街

2011/06/26 20:41
城下町金沢には三カ所の花街がある。浅野川に沿って二カ所、主計町(かずえまち)茶屋街とひがし茶街があり、もうひとつは犀川のほとりに、にし茶屋街がある。
これらの茶屋街は独特の家並みが残されており、江戸の情緒も感じられるのでそぞろ歩きで散歩してみると味わい深い。
まず主計町を訪ねた。その名前は加賀藩士富田(とだ)主計(かずえ)の屋敷があったことに由来し、人名から来ているという。

主計町茶屋街(右に浅野川)
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主計町茶屋街(左に浅野川)
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主計町茶屋街のお茶屋は現在4軒で芸妓は十二人、規模は一番小さいが風情を楽しむならここが一番である。
路地が入り組んでおり、お茶屋遊びにはもってこいと言う怪しさも漂う。
京都の茶屋街でいうと鴨川の西岸にある先斗町のような感じである。
主計町茶屋街は通りから下ったところにあり、急坂(階段)で繋がっている。一本はあかり坂、もう一本が久保市乙剣宮という神社の奥から入る暗がり坂である。
町の旦那衆が神社に参拝する風でお茶屋にお忍びで入るということを想像すると楽しいが、降りた先には検番があるので実際は難しそうだ。

あかり坂          暗がり坂
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土屋(現在は喫茶、元はお茶屋)のご主人からお伺いしたお話によると、裏にある検番(主計町事務所)からお稽古の三味線の音が聞こえてくるとお茶屋遊びをしている気分に浸れるのだと。

主計町事務所(検番)
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遠くにみえる階段が暗がり坂


お茶屋の二階(窓から浅野川が望める)
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手前で芸妓が芸を披露する

朱塗りの茶屋
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主計町茶屋街の路地裏
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浅野川大橋から主計町茶屋街を望む
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こんな光景も違和感がない
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浅野川大橋
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