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第4回 弘前散歩写真展 会場−弘前図書館

2017/06/13 19:37
 弘前の四季、津軽の風景、ねぷたまつりを特集した弘前散歩写真展が開催されます。
会期は2017年6月24日(土)から8月16日(水)まで、会場は弘前市弘前図書館。
 弘前の町歩きの魅力や津軽の旅の楽しさを満喫、さらに青森の夏を盛り上げる、「青森ねぶた祭」、「弘前ねぷたまつり」、「五所川原立佞武多」、「黒石ねぷた祭り」を特集、7月30日から8月8日までの各地で開催中の「ねぶた」まつりを一覧することができる。

作品は2017年4月に刊行された写真集『津軽路の旅 弘前散歩第2集』から選んでいる。

 
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      雪舞の弘前城天守 - 冬画像
















                   花筏の日 - 春
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      弘前ねぷた祭り− 夏 
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           祈りのもみじ − 秋
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写真集『津軽路の旅 弘前散歩第2集』
 発行 路上社

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弘前万華鏡 オンリー・イエスタディ (弘前散歩写真展 U)

2016/07/17 17:40
 弘前散歩写真展 U- 弘前万華鏡は6月29(水)〜7月3日(日)まで弘前市立百石町展示館の第一展示室で開催し、弘前市民の皆様をはじめ近隣の町の方々や旅行中の人たちにも立ち寄っていただきました。おかげさまで盛況で終えることができました。ありがとうございました。
 ここでは写真展のテーマである「オンリー・イエスタディ」(ほんの昨日までみていた光景)で展示した作品とともにその後の「シンス・イエスタディ」(昨日から変わった現在の光景)をあわせて掲載することにしました。
 なお、オンリー・イエスタディとシンス・イエスタディのタイトルはフレデリック・F・アレン(アメリカ)の著書に倣ったものである。


弘前散歩写真展 U

弘 前 万華 鏡
     オンリー・イエスタディ(ほんの昨日までみていた光景)


弘前城天守
 現在の弘前城天守は津軽藩9代藩主寧親(やすちか)が文化8年(1811)に築城した三階三層の城である。江戸時代に築城された12の天守のうち日本最北の地にたつ。天守は本丸石垣の端に位置しているが、これはもともと櫓(やぐら)であったものを改装したことによる。
石垣の最端にあることで下乗橋から眺められる名城となった。
 さて、先年石垣のふくらみが発見されたことから、大正4(1915)以来100年ぶりに石垣を修理することになった。
天守は2015年8月〜11月にかけて曳屋工事で70メートル内側に移動、再び同じ場所に姿を現すのは2023年の予定である。


天空の弘前城
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移動前(下乗橋から)
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移動後(下乗橋から)
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旧弘前偕行社
旧弘前偕行社は陸軍第八師団の将校の社交場や物販・厚生施設として明治40年(1907)11月に建てられた。戦後に弘前厚生学院記念館(御幸町)となって同学院の敷地内にある。昭和55年までみどり保育園(現在はメモリアルドッグが棲む吉野町緑地前にある)が併設されていたことを来場された方から伺った。
建物は当時の設計者である堀江佐吉の流れをくむ堀江組が修復施工中である。

旧弘前偕行社
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修復中の旧弘前偕行社入口
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大広間(修復前)
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大広間(修復中)
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思い出のメモリアルドッグ
「A to Z メモリアルドッグ」は吉井酒造煉瓦倉庫前の吉野町緑地にあった犬のオブジェ。
2006年に開催された弘前出身の芸術家 奈良美智氏の美術展として屋外展示されていた。背高3メートルのためか登る人も多く、生傷が絶えなかった。2015年7月に療養のため入院、修復を終えて12月に倉庫内に格納された。

思い出のメモリアルドッグ
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元気な頃のメモリアルドッグ
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主のいなくなった吉野町緑地
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吉井酒造煉瓦倉庫の中で飼育中
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弘南鉄道・中央弘前駅
弘南鉄道大鰐線は昭和27年(1952)に開業、中央弘前−大鰐間13.9キロを走る。中央弘前駅は吉野町にあり、東北の駅100選にも選ばれている。風情のある駅舎であり、風景に溶け込むように駅の一角で「食事処 どってん」が営業していた。残念なことに2015年8月28日で閉店した。


弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅
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現在の中央弘前駅
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最勝院坂下
最勝院の坂下は昭和の面影の残る癒しの街角である。毎年夏には宵宮(よみや)が開かれ、参道に多くの露店が並ぶ。その一角に三浦せんべい店があった。ここに来るともう見られなくなったかつての姿を思い出す。

最勝院坂下
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三浦せんべい店
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取り壊し前の坂下     取り壊し後の光景
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いなみや菓子店
いなみや菓子店はバナナ菓子(最中)発祥の店であり、明治38年(1905)創業の老舗和菓子店。改装前の建物は風格のある店構えで特に2階の格子窓はなつかしさと親しみがあった。改装後はモダンな店舗に生まれ変わった。


いなみや菓子店(改装前)
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いなみや菓子店(改装後)
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東北のエルメス 亀屋革具店
亀屋革具店の創業は大正4年(1915)、当初は農耕馬具の専門店であった。現在はバックが主要製品である。改築前の店舗は趣のある建物として市民に親しまれていたが、老朽化には勝てず、現在のすっきりとした建物になった。間口が狭くなり小ぶりになったが、製品の品質には変わりがない。


亀屋革具店(改築前)
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亀屋革具店(改築後)
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人気のパスタ店だったナポリタン
2011年11月に惜しまれながら閉店した。閉店時にはお客さんが列をつくった。悔しいことににぎわいすぎて入れなかったことを今でも残念に思っている。建物は健在であるがいつ取り壊されても不思議ではない。

盛業中のナポリタン
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現在のナポリタンの建物
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弘前散歩 写真展 再び

2016/05/11 21:33
2015年10月〜11月に開催された「弘前散歩 写真展」が再び開催されることになった。
今回の写真展はダブルテーマである。前半はほんの昨日まで見ていた光景が、いつの間にか記憶に残っているだけのまぼろしとなってしまった「オンリー・イエスタディ」を弘前万華鏡として展示する。
後半は弘前駅前公共施設ヒロロの「こども絵本の森会館3周年記念写真展」として「街歩きの魅力 再発見(弘前人の愛する散歩道)」の作品展示を予定している。
皆様のご来場をお待ちしています。

弘前散歩 写真展 
開催日(前半) 2016年6月29日(水)〜7月3日(日)

会場
       弘前市立百石町展示館 第1展示室(1階)

テーマ    
 弘前万華鏡 オンリー・イエスタディ


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弘前散歩 写真展 

開催日(後半) 2016年7月4日(月)〜7月10日(日)

会場   弘前駅前公共施設 ヒロロ3階 特設会場
こども絵本の森 開館3周年写真展

テーマ    弘前の魅力 再発見
(弘前人の愛する散歩道)

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弘前公園の桜

今年2016年の弘前のさくらの開花は昨年と同じく4月中旬には咲き始めた。写真展の打ち合わせを兼ねて弘前に着いたときソメイヨシノは早くも散り始めていた。新聞等の報道では「満開」となっていたが、外堀だけではなく西堀にもサクラの花が浮かんでいた。満開の桜に立ち会うのはなかなか難しいものである。


下乗橋のたもとから弘前城天守
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石垣修理のため天守は移動したが、意外に違和感はない。

追手門前の外堀
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もう花筏状態になっていた

さくらのじゅうたん
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翌日には花弁がびっしりと花埋み

散り急ぐ西堀のさくら
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『弘前散歩』写真展 開催

2015/10/15 00:37
会    場 弘前市立弘前図書館


開催期間 10月16日(金)〜11月18日(金)


写真展テーマ:  弘前は楽しい




 街歩きは楽しい。弘前には明治から昭和の初期に建てられた建物が点在しており、何気ない街角の風景に溶け込んでいる。
 街歩きが魅力的なのは、これらの歴史的建造物が観光スポットになっているだけではなく、その背後には人々の暮らしがあり、生活があるからである。また、江戸時代に築城された日本最北の城、弘前城天守も健在である。 歴史的基盤と暮らしが融合して独特の景観を創り出している。
 例えば旧市街のメインストリートである土手町通りを歩くと由緒ある建物やおしゃれなお店があり、何を話すわけではないが、行き交う人々との触れ合いもある。さらにちょっと横丁に折れてみると懐かしい路地裏という迷宮の世界が広がっている。
 今回の写真展は弘前の街歩きの魅力に憑りつかれた横浜の旅人が長年撮りためた作品を写真集にまとめ、その中から弘前図書館の職員の方が選んでいただくというコラボレーションで実現した。
 弘前の方には地元の魅力を改めて感じていただき、遠方から来ていただいた方には弘前散歩の楽しさの一端を味わっていただければ幸いである。
        
             2015年10月  横浜からの旅人 辻 栄 一


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「写真集 弘前散歩」 発刊までの道のり-4(完) 

2015/03/22 19:24
「写真集 弘前散歩」が遂に完成

2015年2月20日の発行日で写真集が出来上がった。ただし、実質的にはこれからが始まりである。写真集はお披露目をして、気に入ってもらって、見てもらえることが重要であり、できれば購入いただければありがたいことである。


「写真集 弘前散歩」の表・裏表紙
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著者の手から離れた写真集は出版社→取次会社→書店と流れて発行日には地元青森県の書店の店頭に並ぶ。配本を取り仕切るのは取次会社であり、出版社は本の制作に加えて営業・販促活動を担う。本が出来上がってしまえば著者としての出番はない。しかし、幸いにも、知り合った弘前の人たちからサポートを受けて、地元の新聞社「陸奥新報」、「東奥日報」の記者からインタビューを受けることができた。
この時弘前ではこんなにも降るのかと思うほどの大雪であった。

インタビュー記事はタイミングよく、写真集発行日の2月20日と21日に掲載された。掲載の知らせは横浜で聞いた。もともと地元の方々に見ていただきたいと思って企画した写真集なので、地元紙で取り上げていただけることはとてもありがたいことである。


3月に入って、かねてから企画していただいていた葛西弘前市長への写真集の贈呈式の日程が具体化した。2月に続いて3月も弘前に行くことになる。
3月11日、東日本大震災のあった日というのも何かの縁である。忘れがたい日である。

帰途、再び大雪に見舞われた。秋田からの特急つがるは大幅に遅れて、乗ることができず、予約していた新青森発の新幹線には間に合わない。遅れ遅れの普通列車でようやく新青森にたどり着いた。
意外にも東北新幹線は定時運行であった。

私の本業は写真撮影であるが、今回の弘前訪問はなかなかまとまった撮影時間が取れない。忙中閑があったのだが、元来が怠け者で、出かける踏ん切りがつかないままホテルでグズグスと過ごしてしまう。これが結構性に合っている。

といいながらようやく出かけて、撮った作品である。


一戸時計店時計塔
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A to Z メモリアルドッグ
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最勝院五重塔
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弘南鉄道弘南線「柏農高校前停車場」
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弘南鉄道大鰐線「中央弘前駅」
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「写真集 弘前散歩」 発刊までの道のり-3

2015/02/06 18:39
「写真集 弘前散歩」の3次校正原稿が到着したのが年末も押し詰まった29日である。正月の3が日は校正作業に明け暮れた。一次校正からの変更点がうまく伝わってなくてほとんど修正されていなかった。出版社との距離が離れていることもあって意思疎通にややかけることになった。やむを得ないか。
1ヶ月間はほとんど進展がない状態となり、1月中の出版は見送りとなる。

1月中旬になって表紙の見本が送られてきた。赤の題字が明るくて気に入ったので即採用に決定。下旬になって5次校正が届いた。今度はほとんど修正されていて、ごくわずかの校正作業で結了となる。
さて、次は出版日の策定である。もう当初の予定日はとっくに過ぎてしまっているのであわてることもない。
ならば販売機会が増える時期、すなわち、さくらの開花の情報が出始める3月に間に合えばということになった。

昨年の開花(ソメイヨシノ)一番乗りは四国高知で3月18日、平年より4日早かった。一方、弘前の桜は4月23日に標準木の開花が発表された。高知の開花から1か月以上遅れたが、それでも平年より5日早い。
ということで「写真集 弘前散歩」は桜の便りが届く3月には書店に並べられるよう最終段階に入っている。
目指すは2月の完成、3月のお披露目である。


「写真集 弘前散歩」は間もなく発刊です
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今年も弘前公園のさくらは愉しみである。


見納めとなった下乗橋のさくらとお堀(2014年)
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外堀の花筏
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「写真集 弘前散歩」 発刊までの道のり-2

2014/12/23 23:02
弘前へ行く

11月某日、出版社から校正のゲラがあがってきたという連絡があって、さっそく見に行くことにした。
当初は手元に届いたゲラを確認してから出かける予定だったが、時間的に余裕がなく、ぶっつけ本番で出版社のある弘前で校正作業を行うことになった。

約束の前日に駅前のホテルに泊まる。午前中の所要を済ましてからでかけたので午後もかなり遅くに到着した。
弘前駅は身震いするほど吹く風は冷たかった。横浜はようやく紅葉の季節になったばかりであるが、弘前はもう初冬である。

道路には落葉が散らばって、広葉樹の枝は赤茶けたていた。紅葉の時期は終わり、間もなく雪が降るという季節に弘前の街を訪れたのは初めてである。
今回の訪問は写真集の発刊準備であり、滞在期間も短いので、撮影時間がほとんどとれなかったのは予想していたとはいえちょっと残念である。

土手町通り(蓬莱橋と中三デパート)
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残り少ないさくらの葉(外堀)
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一次校正ゲラを見る

打ち合わせ場所は印刷会社の事務所である。
ホテルのロビーで出版社の方と待ち合わせ、刷会社の部長さんに車で迎えに来てもらって一路出版社の事務所へ直行する。

印刷会社の事務所は弘前駅の東側、いわゆる城東地区にある。この日は休日で、道路は閑散としていた。
城東地区は新しく開発された街区である。奥羽本線の青森-弘前間が開通したのは明治27年(1894)であるが、弘前駅は弘前城のある旧市街から遠くはなれた、歩くと30分もかかる東のはずれに造られた。当時駅の東側(現在の城東地区)はさらに辺鄙なところにだったと想像される。


10分足らずで事務所に到着、休日なので工場関係者は誰もいない。さっそく、挨拶もそこそこに写真集(印刷の束)の編集会議となった。
A5版 124Pの見本ゲラ刷は思っていたよりも小ぶりである。 印刷された写真の発色はなかなかのできである。自宅プリントや町のDPE屋さんよりも格段に出来が良い。
ところが、表紙の装丁、写真の配置、キャプション、文章などこまめに見ていくと修正したい箇所がずいぶんある。ということは初稿の完成度が低すぎたということでもあった。

写真の入れ替え、本文の修正は後でも可能といわれていたが、もっと練り上げてから出稿すべきであったと後悔したものの、修正はお願いすることに。

掲載予定の写真を一枚一枚チェックしていくと2時間近くかかってしまった。さらに印刷工場を案内していただけることにになり、休日出勤で申し訳ないと思いつつ、お言葉に甘えて初めての印刷工場見学が実現した。


表紙に予定しているメモリアルドッグ
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「写真集 弘前散歩」 発刊までの道のり-1

2014/12/13 20:12
編集中にファイル消失で茫然

8月末、写真集の編集作業中に突然パソコンのハードディスクが壊れてしまった。ハードディスクは最近買ったもので容量は3テラあり、2014年の記録や常時使用するファイルを保存していた。使い始めてまだ8か月なのでバックアップもとっていない。
壊れるのはあっという間である。シャットダウンして再び立ち上げるとドライブの表示が見えなくなっていた。電源を入れなおすと「カリカリ」いう音がする。しかし、パソコンの表示は変わらない。これは大変だ、かけがえのないフアィルがなくなってしまった。
あれこれ手を尽くし、メーカーに問い合わせ、修理にも出したが、結局再生はかなかった。故障したハードディスクの無償交換はできるが、壊れたものは返還してもらえない。茫然自失の1か月は瞬く間に過ぎてゆく。


9月も中旬を過ぎると、くよくよしていても仕方ない。ないものはないのだ。とあきらめることにした。決別する時は誰にだってあるのだと自らな納得させて、ようやく気持ちの整理をつけた。

難関の消失ファイル探索

ほとんど完成していた写真集の編集作業は初めからやり直しである。まず、残ったドライブに保存してあった中から写真集に使う予定だった作品を探し出す。幸いにも2013年までの写真関係のファイルは5個のハードディスクに分散してバックアップがとってある。

手始めにドライブごとに関連のある用語で検索を懸け、フォルダーを抽出することにした。そして中身の点検である。ところが検索したフォルダーには不要なものがたくさん混じっていて、確認・選り分け作業に手間がかかり過ぎる。遅々として進まない。

検索作戦はあきらめて、保管してあるファイルを逐一点検する方針に転換する。ファイルは日付順に保存してあり、撮影箇所ごとに区分してある。、また、弘前に行った時期はほぼ特定でき、年代ごとに潰していけば発見の確実性は高い。ただし、5個のハードディスクには2006年から2013年までのファイルが脈絡なく入っている。同じ年の1-6月と7-12月が別のドライブに保管してあったり、3つ以上に分散してあったりで、バックアップを思いつきで処理したことが恨めしい。


編集作業再開、初稿完成

今年2014年のファイルはバックアップした記憶もないので当然ながらないが、2013年までのデータはほぼ残っていた。2006年〜2013年までよくもこんなにと撮ったものだと思うほどデータ数は膨大であった。次のステップはフォルダーから改めて作品を選び出す作業である。当初に選んだ作品の撮影場所は現物の画像をみると思い出した。しかし、似たような図柄がいっぱいある。アングル、露出、シャッタースピードを少しずつ変えて、1シーンで20〜30枚も撮っていた。今年の作品はもう存在しないので、代替作品を選び直す。

10月になって編集作業を再開、一からページレイアウトを始めたが、意外なほど、作業はスムーズに進んだ。消失前の原稿とは多少違うが、差し替えた作品の方が気に入ったケースもあり、ほぼ満足できる(と思われる)初稿が完成した。10月中旬、総ページ124Pの原稿を出版社に送る。


復元ソフトを使ってSDカードから復活した夏の弘前公園
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五能線の旅と遮光器土偶の木造町

2014/06/01 11:46
五能線は奥羽線の東能代(秋田)から日本海の西岸に沿って北上し再び奥羽線の川部(青森)で接続する営業距離147.2キロの全線非電化、単線の長大なローカル線である。一日一本の直通普通列車に乗って4時間以上を要する。
五能線は五所川原と能代の頭文字をとった名称である。

明治41年(1908)10月、官営能代線が能代(現東能代)-能代町(現能代)に鉄道が敷設されたことに始まる。大正15年(1918)9月私設陸奥鉄道が川部−五所川原を開業した。その後、大正13年(1924)月に官営五所川原線が西に延びて陸奥森田まで開業し、翌大正14年には鰺ヶ沢まで延伸。一方、能代線は大正15年になって岩舘まで北上延伸された。陸奥鉄道は昭和2年(1927)6月に国に買収され、五所川原線に編入される。その後徐々に延伸され、昭和11年(1936)7月にようやく全線がつながり、五能線に改称された。

現在五能線の直通普通列車は一日一本のみである。ただし、観光列車として全席指定の快速リゾートしらかみが5本運行されており、旅人には便利である。運行区間は青森−弘前(奥羽線)-川部-東能代(五能線)-秋田(奥羽線)である。ただし、地元の人が乗り込んでくることは少なくローカル線の風情はない。
今回はこのリゾートしらかみで弘前からウエスパ椿山まで行き、小金崎不老不死温泉の露天風呂に入り、折り返して木造まで戻って一旦途中下車、街歩きを愉しんで後、再び弘前に戻るというコースである。

弘前-ウエスパ椿山


8時49分弘前発リゾートしらかみ2号は川部で先頭を入れ替えて五所川原に向かう。岩木山の麓を走るので進行方向の左の車窓に岩木山の姿が見え、リンゴ畑が広がる。今年は暖かいようでもうリンゴの花が咲き始めていた。五所川原から津軽三味線の生演奏がある。

岩木山とリンゴ畑 
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津軽三味線の生演奏
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鰺ヶ沢で三味線団が下車するとまもなく日本海が見えてくる。次の千畳敷で15分間停車する。この間を利用して海岸線まで行くことができる。

千畳敷海岸
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「せんじょうじき駅」
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10時34分千畳敷発、ウエスパ椿山には11時14分に到着。不老不死温泉までは一軒宿の不老ふ死温泉の送迎バスで行く。

露天風呂は宿から屋根のない専用道路を歩く。向かって左が混浴、右が女性専用である。更衣室に屋根はなく、脱衣かごのそばに大振りの石が置いてある。風が強いので、脱いだ衣類の押さえ用である。
現在の温泉はボーリングして200メートル下から自噴しているが、かつては海岸に温泉が湧き出していた。最寄駅は艫作(へなし)でもちろん混浴のみで名実ともにむかしながらの露天風呂であった。温泉はわきだしたときは透明であるが鉄分を含んでいるため、空気に触れると酸化して黄金色になる。ひょうたん型の湯ぶねは黄濁している。数えてみると10人以上が入湯していた。
ウエスパ椿山が開業したのは平成13年(2001)年12月で、JR東日本が五能線の観光の目玉の一つとして開発した駅である。

「不老不死温泉」
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海岸の露天風呂
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小金崎海岸
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再び送迎バスでウエスパ椿山に戻る。乗客は一人のみ、露天風呂の客はほとんどが車で来ていたようだ。
下り13時15分発のリゾートしらかみ3号で川辺方面に引き返す。









ウエスパ椿山駅
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田植えの準備が始まっていた
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木造(きづくり)

14時53分木造に到着。木造は五所川原の一つ手前の駅である。旧津軽郡木造町、平成の町村合併によってつがる市となった。
下車したのは一人のみ、閑散とした駅前ではカップルが駅舎の写真を撮っていた。木造の駅舎は遮光器土偶の巨大なモニュメントになっている。平成元年、竹下内閣がふるさと創生事業として地方自治体に交付した一億円の資金で時の木造町長が建てたものである。
遮光器土偶は明治19年に亀ヶ岡遺跡から出土したとされる縄文後期の代表的な土偶である。かつては個人の持ち物であったが、現在は国立博物館が所有。重要文化財に指定されている。

遮光器土偶のモニュメント:木造駅舎
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駅前通りは人影が全くない。懐かしい洋風建築が目についた。入口の扉に桜庭歯科の文字が見えるがもちろん営業はしていない。

風雪に耐えた洋館「桜庭歯科」
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さらに歩いて再び 洋風建築を発見した。大正初期に大地主の高谷一族によって設立された旧高谷銀行本店である。施工は堀江組で、弘前出身の堀江佐吉の弟堀江豊吉の手によるものである。堀江組の堀江佐吉は、国の重要文化財に指定されている弘前市の「旧第五十九銀行(現青森銀行)本店本館」も手掛けている当代一級の棟梁であった。旧高谷銀行本店の建物は現在、盛農薬商会倉庫として使用されている。

旧高谷銀行本店
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津軽郡木造町は明治の文豪太宰治の父・源右衛門の生家があった。木造村の豪農松木家から津島家の婿養子となった。松木家は没落して生家はもうない。
木造は米どころとして栄えた。道沿いにはかつての栄華を垣間見る豪邸が点在している。

澁谷米穀店
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木造駅に戻った時にはもう、日が落ちかけていた。再び岩木山を仰ぎながら帰途につく。

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さくらの弘前 街歩きU 市街地散歩 

2014/05/22 00:25
弘前公園のさくらは日本一と言われるほど圧巻である。しかし、市街地に咲くさくらだってそれに競うほどほど素晴らしく、眼を愉しませる。
思いつくまま、気の向くままに市街地散策である。昨年に比べて天候に恵まれ街歩きの足も弾む。
岩木山は春霞でぼんやりとしか見えなかったが、かえって風情がある。

まず吉野緑地に行く。相変わらずのメモリアルドッグの出迎えを受け、弘南電鉄大鰐線の電車を見送る。
次に最勝院五重塔に行く。しだれ桜とソメイヨシノの組み合わせが秀逸である。
そして天満宮である。ここでは梅まつりが開催されていた。梅と桜が同時に楽しめるのは弘前ならではである。抹茶とお菓子をごちそうになる。

さらに歩いて禅林街を抜けて禅林公園へ。何やらロケをやっていた。満開のさくらにロマンスの花も咲くというところである。
もっと進んで斎場へ。満開のさくらの近くではりんごの花つぼみが開花寸前である。
再び戻って旧弘前偕行社へ向かう。建物は長期修復中であるが、さくらは健在で、花散らしが舞っていた。

吉野町緑地
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メモリアルドッグ
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弘南鉄道大鰐線
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最勝院五重塔
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天満宮
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梅まつりの抹茶サービス
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シダレザクラの前で遊ぶ子供たち
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禅林公園
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撮影は佳境に
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斎場の桜
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開花目前のリンゴの花
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旧弘前偕行社
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突然の花散らし
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さくらの弘前 街歩きT弘前公園

2014/05/12 23:46
雪の弘前から3か月、再び弘前を訪ねる。さくらは例年よりも早く満開の時期を迎えていた。
街は陽気に誘われ人出も凄まじい多さである。
到着前日のさくら情報では7分咲き、当日は花が咲き誇っており、ソメイヨシノは早くも満開となり圧倒されるほど濃密に花弁が重なっている。
昨年と比べてさくらは質量ともに申し分なく、ボリューム感一杯でここ数年来でも出来栄えは格段に良かった。
日本一といわれる弘前公園のさくらを改めて実感する。しかし、気持ちよく咲いた花は散るのも早く、夕べにはもう花が舞うというあわただしさである。
今年の秋には石垣修理のため天守の移動が予定されており、今後10年間は目にすることができない。花の命は短いほど惜春の情が深くなる。

市庁舎屋上より追手門通りを臨む
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追手門より市庁舎を仰ぐ
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日本最古のソメイヨシノ
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杉の大橋
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下乗橋
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今年の春で見納めとなる天守と石垣
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外堀通り
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名物アイスクリーム150円
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本丸の中も人で溢れていた
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日暮れてライトアップ
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西濠に浮かぶボート
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さくらのトンネル
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花吹雪と花筏
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越美北線と北陸の小京都・越前大野

2014/04/24 00:31
越美北線は北陸本線の福井から西へ一駅の越前花堂から九頭竜湖に至る営業距離52.5キロ、単線・非電化の路線である。列車はすべて福井から発車している。昭和35年(1960)に勝原まで開業し、昭和47年(1972)年に九頭竜湖まで延伸された。越美北線があれば当然越美南線もあった。最終的には南線と北線が繋がる構想もあったが、旧国鉄の分割民営化に伴い、越美北線(福井県)はJR西日本が引き継ぎ、越美南線(岐阜県)は第三セクター化されて長良川鉄道となった。越美南線の開業は古く、大正12年(1923)には美濃太田−美濃町間が開通している。美濃太田−北濃の全線72.1キロが開通したのは昭和9年(1934)である。途中駅に郡上踊りで有名な郡上八幡がある。

さて、越美北線の中心地が越前大野である。途中の一乗谷は戦国大名朝倉氏が居城を築いた土地として知られる。
越前大野は織田信長の家臣であった金森長近が築いた4万石の城下町(亀山城)である。北陸の小京都といわれ、東西六条、南北六条の碁盤目状に町割りされている。六間通り、七間通りや三番通り、四番通りと命名されておりわかりやすい。ところが大野市はキャッチコピーとして「結の故郷」(ゆいのくに)として売り出そうとしている。これがなんともわかりにくい。大野市や観光協会のパンフレットにはその由来についての説明は一切書かれていない。ようやく「人を結び、時を結び、地域を結ぶ」というテーマの町づくりをするという文言をHPで見つけたのだが、どうもしっくりこなかった。

越美北線の終着駅九頭竜湖まで行って折り返し越前大野で下車、次の福井行が来るまでの限られた時間であったが街中をぶらりと散歩した。「結の故郷」の実態は不明であったが、落ち着いた越前大野の街並みはなかなか楽しいものであった。
越美北線の始発駅「福井」
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遮るものがない線路
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九頭竜川
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九頭竜湖駅
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越前大野駅
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「越前おおの」街歩き

酒蔵
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味噌蔵
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米屋
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呉服店
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履物店
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金物店
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銭湯(閉店)
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東大寺二月堂 修二会 

2014/03/31 21:07
東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は旧暦二月に行われる法会(ほうえ)である。3月1日から14日まで毎日お松明が上がる。「お水取り」の名で知られる修二会のお松明は上堂する修行衆の足下を照らす道灯りである。
修二会の法要は大仏が造られた天平勝宝4年(752)から始められたとされ、今年(2014)で1263回目で一度も絶えることなく行われてきた。
お松明の火の粉を浴びて無病息災を願い、燃えかすを拾って玄関に飾り、厄除けの護符とする風習もある。
3月14日の最終日は日が落ちてまだ青空がわずかに残る午後6時半からお松明が上がる。満月に近い月が松明の隣に煌々と輝いているなか、お松明が次々と駆け巡った。
連続して上がるお松明は壮観で、期間中最も見ごたえがある。

お松明は10本が次々に上がる
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青空が残る中、始まりの時が来た
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見る間にお松明が増えていく



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月明かりにお松明の火の粉が乱舞
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家路につく人々を月光が見送った
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春を呼ぶ 八戸えんぶり

2014/03/02 21:00
青森八戸の伝統行事である「えんぶり」は毎年2月17日〜20日に行われる。開催前日の16日には大雪が降り、積雪は60センチに達した。降雪の少ない八戸にとって4年ぶりの大雪であり、交通網が乱れ、JR八戸線(八戸-久慈)、三陸鉄道北リアス線(久慈-田野畑)も運休となった。町中が雪かきで追われる中、えんぶりが幕を開けた。

えんぶりは、元々、農村地帯で小正月(旧暦1月15日)に1年の豊作を神に祈る行事として行われていた舞で、種まきや田植え、稲刈りなど稲作の一連の動作を表現したものである。太夫(たゆう)と呼ばれる舞手が華やかな帽子(えぼし)を被り、その頭を大きく振る独特の舞が特徴である。「えんぶり」という名は「えぶり」という田んぼの地ならしに使う農具から由来したといわれ、「えんぶり」を舞うことを「摺る(する)」と言う。えんぶりは田植等田作りの順風満帆、豊作の様を前もって演じみせる田植踊であり、田植前の杁【えぶり】ならしのところに力点がおかれ、八戸地方一円に発達したものである。

長者まつりんぐ広場でえんぶりを披露
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えんぶり行列・一斉摺りへ出発
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街中では雪かきで大わらわ
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豪華なえんぶり烏帽子
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恵比寿舞(鯛釣り)
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門付け
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吹雪の御前えんぶり
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かがり火えんぶり
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雪の弘前 ぶらり散歩

2014/02/22 21:20
1年ぶりの弘前雪景色である。2月中旬は思いのほか積雪は少なく、豪雪だった昨年・一昨年とはかなり様子が違った。弘前駅前の広場に雪はほとんどなく、やや拍子抜けである。しかし、街は白一色の雪景色であり、いつも粉雪が舞っていた。滞在期間中はどんよりとした雲に覆われていて、岩木山の頂は一度も見ることはなかった。雪は止んでも太陽は厚い雲で隠され、ぼんやりとした丸い光がかすかに見えるだけである。

さて、街歩きであるが、弘前はいつ来てもほっとして懐かしく、心が和む。特に旧市街の散歩はお気に入りのスポットである。横浜からの旅人にとっては雪もまた楽しい。街は昭和の雰囲気を残しながら、ゆっくりと変貌している。三年前にはあった建物がなくなり、いつの間のかおしゃれなお店ができていたりする。お城と公園、そして洋館、教会、お寺が絶妙に配置されていて、散歩道を飽きさせない。街中を走る弘南鉄道もなかなかである。
雪中散歩の始まりは最勝院五重塔である。


最勝院五重塔
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一戸時計店の前はいつも工事中
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かくみ小路
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大都会ではとっくに消え去った雑貨屋の店先で雪かき用のスコップが展示されていて、1,250円と値札がついている。高いのか安いのか判然としない。
何でもない民家の隣に和菓子屋があったり、昭和の面影が残る懐かしい建物が並んでいたりする。
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畳屋、表具屋があり、裏通りに入ると蔵屋敷もあった。時代を経た建物の洋品店や喫茶店、洋食店を見つけたりする。お客さんは来るのだろうか、一日の売り上げはどのくらいなのか、いつまで店は続くのだろうかと心配になる。
弘南鉄道大鰐線
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パンフレット等で紹介されている由緒ある建物などの観光スポットを見るだけでは掲載された写真を実物で確認する作業なので、どこの都市でもみられ、とりたてて珍しいことではない。

旧第八師団長官舎
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青森銀行記念館
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街歩きの楽しさは移り変わる風景にあり、弘前の街が醸し出す雰囲気が何とも魅力的なのである。言い換えれば、キョロキョロ散歩のプロセスが楽しいのである。何度も通った道なのに新しい発見をすることしばしばである。訪ねる度に違った雰囲気が味わえる。冬であれば雪、春はさくら、夏は祭り、秋は紅葉と四季が街に彩を添えているように思える。

弘前公園

西濠は雪に覆われているが、さくらは芽吹き始めている
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日が落ちて、祭り会場へ

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旧第八師団長官舎の雪像とプロジエクションマッピング
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子供たちは大型滑り台に夢中だ
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横浜日本大通り イチョウ並木の散歩道

2013/12/03 00:22
横浜日本大通りのイチョウがようやく色づいてきた。最盛期は間もなくだが、イチョウ並木をぶらり散歩することにした。
JR関内駅を出て左に横浜市役所、右に横浜スタジアムを見ながら、みなと大通を歩く。横浜公園の角を右折し、しばらくすると日本大通りに出る。
左右にイチョウ並木、遠く向こうに港が見える。神奈川県庁舎(キングの塔)の前は賑わっていた。今日は本庁舎が公開されていて職員が案内役となっている。もらったチラシには正面玄関にてみんなでダンス!と書かれてあり、イベント開催が予告されていた。

日本大通り(港に向かって北へ)
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日本大通り(関内・横浜球場を振り返る)
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ワンちゃんもリラックス 













思い思いに楽しむ人たち














キングの塔(正面)
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県庁前交差点
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屋上から見るイチョウ並木
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大桟橋が見える
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真近にキングの塔、遠くにクイーンの塔
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ジャックの塔
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新庁舎の屋上からクイーンの塔
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赤レンガ倉庫も近い
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秋の弘前 そぞろ歩き

2013/11/18 22:51
弘前の秋は鮮やかな紅葉に染まる。弘前公園のお堀端や城下町の面影を残す街並みをそぞろ歩いてみるとしっとりと落ち着いた気分になれる。
ところどころに配置された洋館が紅葉に映える。赤いリンゴが枝いっぱいに実をつける。
弘前の秋は足早に通り過ぎていくが何度訪れても違った印象があり、大都会では忘れられた移りゆく季節感を心ゆくまで楽しませてくれるのである。

紅葉に染まる弘前公園

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最勝院五重塔
















吉野町緑地





















旧弘前偕行社
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日本キリスト教団弘前教会
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昇天教会
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岩木山
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京都鞍馬の火祭

2013/10/30 00:53
鞍馬の火祭は由岐神社の祭礼である。
今宮神社(北区紫野)のやすらい祭、広隆寺(右京区太秦)の牛祭りとともに京都三大奇祭とされる。いずれの祭りも日が落ちてから始まる。ただし広隆寺の牛祭りは10年以上斎行されていない。

叡山電鉄の出町柳から乗車しておよそ30分で鞍馬に到着する。京都の北端に位置する鞍馬は鞍馬寺や鞍馬天狗で有名である。由岐神社は動乱や天変地異が相次いだ平安末期、それらを鎮めるために京都御所で祭っていた由岐明神の祭神を鞍馬の里に迎えたに時に創建したと伝えられ、御所から鞍馬の里までの行列を再現したのが鞍馬の火祭といわれている。

鞍馬寺山門前
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街道の屋敷前に置かれた大松明
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祭礼は毎年10月22日に行われ、日も暮れた午後6時、「神事にまいらっしゃれ」の合図で、鞍馬街道の各戸にかがり火がたかれ、火祭りが始まる。
沿道はすでに見物人であふれかえっている。

人出であふれる鞍馬街道
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小型、中型、大型の松明を持った里人たちが、鞍馬太鼓が打ち鳴らされる中、「サイレヤ、サイリョウ」(祭礼や、最良)と囃(はや)しながら、狭い街道の真ん中を練り歩く。

大松明がやってきた
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見物人は沿道に立ち止って見ることを許されず、一方通行の道を歩きながら見ることになる。
鞍馬街道に沿って由岐神社のお旅所があり、若者らが担ぐ大松明は一旦、御旅所に集まる。大松明は100sもあり、大人2-3人で担がれてくる。

御旅所に集まる松明
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午後8時を過ぎて大松明はお旅所を出て、鞍馬寺の山門前に向かって進む。参道を一人で担ぐ男がある。「甲斐性(かいしょう)松明」というそうだ。松明は燃え盛って軽くなっているとはいえ、山門までの坂道を一人で担ぎあげるのは至難の業である。

鞍馬寺の山門へ行く松明
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山門前の石段に百数十本もの松明が集まる。さらに2基の神輿(みこし)の渡御が始まり、参道を下って由岐神社の御旅所に戻るころは深夜0時を過ぎる頃といわれる。

鞍馬寺の山門までの参道には人々がぎっしり詰まっており、一方通行の人波は止まったままである。由岐神社の御旅所から出ることはできず、身動きが取れない。
鞍馬駅は一方通行の参道を昇った山門の手前にあるが、駅に行き着くには相当時間がかかりそうだ。
これでは祭りのクライマックスである神輿の渡御を見るどころではない。
帰宅が怪しくなってきたところで、交通整理をしているおまわりさんから鞍馬駅の一つ手前の貴船口駅まで歩いた方が早いですよという声が聞こえてきた。



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秋分の日は晴明祭

2013/10/04 23:13
安倍晴明を祀る晴明神社は京都市上京区堀川通にある。今から千年前の平安時代に生きた安倍晴明は実在の人物である。月や星などの天体の動きから吉凶や未来を占う「占術」、「呪術」を操る陰陽師として時の権力者である天皇や貴族から絶大な信頼を得て、従四位下まで昇りつめる。土御門家の祖である。
晴明の没後2年のち、寛弘4年(2007)、広大な屋敷跡に創建されたのが、現在の晴明神社とされる。
晴明神社の近くに一条戻橋がある。あの世とこの世をつなぎ、死者がよみがえったとされるなど数々の伝説があるパワースポットである。
さて、晴明神社は魔除け、厄除けにご利益があるとされ、 社紋は魔を祓うとされる五芒星である。 .
かつて晴明祭(神幸祭)は命日とされる9月26日に行われていたが、現在は秋分の日に斎行される。

晴明神社
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「陰陽師」安倍晴明
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移設された一条戻橋
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神幸祭の長い巡行が始まった
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かわいい八乙女
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西陣地区を巡行する少年鼓笛隊
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五芒星の社紋
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お神輿は威勢よく
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鳥居前を通る飾り馬
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京浜工業地帯 夜の工場夜景クルーズ

2013/09/09 22:27
一日中休むことのない京浜工業地帯、横浜港から川崎まで1時間半のクルージングである。
8月最後の金曜日、乗り込んだ「サンタバルカ号」は満員だった。小型船であるが、船足は早い。
2007年10月に建造されたサンタバルカ号は当初、羽田空港新滑走路建設現場で働き、2010年7月からは遊覧船となった。
全長17.5メートル、全幅4.65メートルで最大搭載旅客人数は80名となっている。今日の乗船人数は30名あまりであるが、それでも満杯のように感じる。
日が落ちて午後7時、大桟橋・象の鼻パークのピア桟橋を出航、工場夜景クルーズがスタートした。

みなとみらいを出航
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夜景に見入る乗客
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水銀灯が輝く
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オレンジ色の夜景
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鶴見線・海芝浦駅を臨む
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ブルーライトヨコハマ
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再びみなとみらい 午後8時30分
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